『他人の顔』を折らない

安部公房の名作『他人の顔』。アイデンティティと仮面の関係を描いた作品。ちょっと最初は分かりずらい。

本の表紙

他人の顔

安部公房

新潮社

本の感想

他人の顔は、自分に刺さりすぎた。化学研究所につとめていた男が液体空気の事故で顔を失い、蛭が這うようなケロイド状の姿になってしまった。次第に葛藤が大きくなっていく男は仮面をつけることにするが、その仮面は元々の自分の顔型ではなく、赤の他人の顔だった。

昔からアトピーの肌をさらすたびに覚える嫌悪。特に周期的に顔に現れる。見られることが罰のように苦しく、視線にさらされる苦しさから逃げ出したくなる。世界から光がなくなればいいというのは決して大げさではなく、私自身が何度も願ったことだ。文章からその孤独や自己拒絶の感覚が自分事として迫ってくる。もし、お前が鏡で自身の顔を見たときに、その顔がもっとも醜悪で不潔に思えたらどうするだろう。相手もまた、その拒絶をこちらに向けているのではないか、という感覚を覚えたことはないだろうか。

人の感想を読むと、そこの感覚に対する共感の記述が少ない。主人公への感情移入がしづらいのだろうか。顔の傷によって「見られること」や「顔を失うこと」の痛みを、現実に想像しきれない。顔の傷は、心に深い傷を刻む。顔を失うことが心を閉ざすことになるのは事実だ。

だから他の誰かになってしまいたい。だがそれを実現したことでまた執着と葛藤を生んでいる。しかしそれは元々の顔でうまくいっていたからだ。妻の愛を得ていたし、社会的にもうまくいっていた。ただ、プラスチックの顔、というものに無理があるのだ。バレるに決まっている。

作品としては、顔によって「存在そのものを突きつけられるような苦しさ」を描いている。 あえて寄り添えない場所に追いやられた読者が、主人公の孤独を傍観者の居心地の悪さとして受け取ることになる。そこに、読後に残る闇や沈黙があるのだと思う。

私は、この本を折らない。すぐに理解できるほど易しいものではなかった。何度も立ち戻って読み直す必要がある。